1位は港区!東京で「会社役員」比率が高い区はどこ

December 02, 2025 1 min read

会社や団体の役員は、経営判断や業務執行を行う責任あるポジション。会社規模などによってその影響力や報酬は異なりますが、ビジネスパーソンにとっては、キャリアの頂点に近いポジションといえるでしょう。
では、そうした役員層は、どのような街を住み家として選ぶのでしょうか。国勢調査のデータを用いて、彼らが集まる街を可視化すると、東京という都市が持つ社会経済的な凹凸が見えてきます。
はじめに、50~59歳の男性就業者に占める会社・団体役員の割合を見てみましょう(図1)。

出典は総務省統計局「令和2年(2020年)国勢調査」です。今回使用した統計表には、都道府県、政令指定都市、人口50万人以上の都市と、東京23区の各区のデータが含まれています。年齢を50代に限定したのは、会社・団体役員が50代~60代に偏っているため、市区町村による年齢構成の違いが結果に与える影響を抑えることが目的です。
全国では50代の働く男性の9%が役員です。中学・高校の40人クラスのうち3~4人が役員となる計算ですが、読者の想像と比べて多いでしょうか、少ないでしょうか。50代男性役員の内訳としては、建設業、卸売業・小売業、製造業の3つの業種で全体の56%を占めています(従業上の地位=「不詳」を分母から除く)。
地域別の傾向としては、企業の本社・支社機能が集中する都市部ほど役員比率が高くなり、大阪市、京都市、名古屋市、福岡市などでは11%、そして東京23区では15%が役員です。23区の各区でも大きな差があり、千代田区(27.4%)、港区(27.4%)を筆頭に、渋谷区、目黒区、台東区、文京区、新宿区、世田谷区で6人に1人を超えています(図1)。
これらの区では単に役員が多いだけでなく、その内訳も異なります。建設業と製造業の割合が下がる一方で、「情報通信業」(IT、出版、放送など)、「学術研究、専門・技術サービス業」(コンサル、シンクタンク、広告代理店、法律・会計事務所など)といった都市型の産業で役員を務める人が多くなっています。ひと口に役員といっても、その性質は地域によって大きく異なるのです。
今度は、同じく総務省統計局「令和2年(2020年)国勢調査」を使って、約250mメッシュという詳細な役員の分布を見てみましょう(図2)。
円の色は働く男性に占める役員の割合、円の大きさは役員の数を表しています。
ここで全年齢のデータを使用したのは、250mメッシュのデータに「年齢×従業上の地位」のクロス集計値が含まれないためです。
また、役員の人数を直接指す項目が存在しないため、本分析では、「雇用者(役員を含む)」の人数から「正規の職員・従業員」「派遣社員」「パート・アルバイト・その他」を差し引くことで役員の人数を推計しました。

さて、地図に戻ると、東京周辺で役員が最も集中しているのが、山手線の南半分に広がる山の手エリアです。東京都の町・字別データによると、一番町~六番町(千代田区)、愛宕・六本木(港区)、松濤(渋谷区)などをはじめ、働く男性住民の30%前後が役員という地域も散見されます。
17世紀以降、この地域には江戸城を取り囲むような形で大名屋敷や旗本屋敷、組屋敷が配置されました。明治期に入るとこれらの屋敷は接収・再編され、軍関係の施設に転換したり、華族・官僚・財閥関係者に払い下げられたりして、名家や企業の重役、外交官などが住む邸宅街へと変容していきました。
また、渋谷区の代官山周辺のように、明治時代に入ってから政治家や実業家が自宅、別荘を構えた地域もあります。
一方で、都心の東側、特に勝どきや月島、豊洲といった湾岸エリアにも多くの役員が居住しています。
これらの地域では戦後、工場・倉庫、そして港湾関係の施設が数多く稼働していましたが、1990年代以降に再開発が進み、今ではタワーマンションが林立しています。都心隣接の利便性や充実した都市機能に加え、建物自体の存在感と豪華絢爛な共用部、そして都心を見渡す眺望などから投資対象としても注目を集め、新しい世代の経営層やパワーカップルを惹きつけています。図3は、国土交通省のオープンデータをもとに、都心周辺の「タワーマンション」の分布を描いた地図※1です。
近郊では、東京23区の南西側、具体的には目黒区と世田谷区南部(東急線沿線と成城学園前)に役員が密集しています。
これらの地域は武蔵野台地の段丘面※2にあたり、明治時代までは田畑と雑木林が混在する近郊農村地帯でしたが、大正以降、特に関東大震災の前後から宅地化が進みました。
現在の桜新町駅(当時の玉川電気鉄道・新町駅)の南側には関東で最初の高級分譲住宅地といわれる新町住宅地がつくられましたし、成城では私立・成城学園の移転・建設費用をまかなうために郊外型の高級住宅地が開業。また、田園調布、洗足では実業家の渋沢栄一が中心となって設立された田園都市株式会社(東急グループのルーツの一つにあたる会社)が、都心勤務のビジネスパーソンをターゲットに宅地分譲を進めるなど、あちこちで現在のニュータウンの原型ともいえる街づくりが進められました。

さらに、東急大井町線、田園都市線の沿線では、当時の玉川村長(豊田正治氏)の旗振りによって約1000ha(10㎢)という広い範囲で耕地整理※3が行われました(図4)。これにより、碁盤の目のように整った街区と生活インフラが整備され、戦後にかけて会社の役員や管理職などの転入が進んだのです。
同じく東京西側の近郊エリアでは、石神井池、善福寺池、井の頭池といった武蔵野台地の湧水池をのぞむ高台や、神田川と善福寺川に挟まれた永福町、浜田山(京王井の頭線)などに役員比率の高いエリアが見られます。
この地域は武蔵野台地の中央部に位置し、先ほどの東急沿線と同様に、近郊農村地帯としての歴史を持つエリアです。中でも、標高50m前後のところに地下水が湧き出る地点が点在し、地元の人たちの貴重な水源として利用されていました(図5)。同時に、鷹場や景勝地として知られるようなところもありました。
このような水と緑に恵まれた水源地は、戦後の都市開発の中でも公園や寺社として温存され、人々の憩いの場となっています。また、その周辺の土地も良質な住環境を持った高級住宅地として分譲された後、現在に至るまで乱開発されることなく美しい街並みを保っています。
ちなみに、こうした池や川のほとりではカワセミを見ることができ、双眼鏡やカメラを携えたバードウォッチャーを見かけることも多々あります。なぜ、武蔵野台地では、役員が集まる街とカワセミが集まる場所が重なるのか。そんな素朴な疑問をもっと深く掘り下げたくなります※4。
大阪では大阪メトロ谷町線と大阪環状線に囲まれた小高い丘の上や、住吉区の帝塚山で役員比率が高くなっています(図6)。

いずれも上町(うえまち)台地と呼ばれる半島状の台地にあり、お屋敷と寺社が建ち並ぶ、歴史と文化の薫りがただようエリアです。地盤の強さ、日当たりと風通しの良さ、大阪湾を望む開放的な眺望などは平坦な大阪平野の中でも随一です。一方で、帝塚山から玉出方面へ坂を下ると、街の風景は庶民的なものに一変します。まさに「微地形が街をつくる」の代表例だと言えるでしょう。
また、近年では中心市街地(本町、北浜)や福島、中之島エリアでマンションの建設が進み、東京の日本橋近辺を思わせるような職住近接型の都市景観が生まれています。
郊外では、六甲山地や北摂山地の南~東斜面に邸宅街が広がっています。御影~夙川(阪急神戸線)、甲陽園(阪急甲陽線)、宝塚南口~逆瀬川(阪急今津線)、雲雀丘花屋敷(阪急宝塚線)などが代表例です(図7)。
これらの地域では明治時代末期から大正時代にかけて、阪急電鉄(当時の箕面有馬電気軌道)などが宅地開発を進め、財界人や文化人などが六甲山麓の景勝地に競って邸宅や別荘を構えたことが、現在の邸宅街の原型となっています。
1913年に誕生した宝塚歌劇団※5や、1930年代に行われた関西学院・神戸女学院の誘致も阪急電鉄の事業の一つであり、鉄道会社が街づくりにとどまらず、芸術・文化を盛り上げていったところに当時の阪神エリアの「栄華」を感じます。
名古屋でも郊外の丘陵地と都心周辺に「役員」が集まっています(図8)。

中でも高級住宅地として名高いのが、八事(地下鉄名城線、鶴舞線)です。愛知県の中央部を南北に貫く尾張丘陵の西端にあたり、名古屋の財界人や富裕層が別荘を構えたことが邸宅地としての歴史の始まりです。トヨタ自動車の創業者・豊田喜一郎の別邸もこの近辺(昭和区南山町)にありました。
札幌では北海道神宮に近い円山地区、福岡では大濠公園の周辺やその南側の高台(浄水通り)が、それぞれを代表する高級住宅地です(図9)。どちらも都心に近接しながら、大きな公園や豊かな緑といった希少性の高い住環境を誇ります。

しかし近年は、両都市ともに都心部やウォーターフロントの人気が高まっています。札幌駅周辺や中島公園(豊平川沿い)、福岡市の赤坂や百道浜・地行浜といったエリアでタワーマンションや高級マンションの分譲が進み、新たな経営層の居住地となりつつあります。
こうして国内主要都市の「役員の多い街」を眺めてみると、「緑豊かな丘の上」という伝統的な高級住宅地に加え、職住近接と眺望を兼ね備えた都心・ウォーターフロントが人気を集めていることに気づきます。
一部では「富裕層が山から降りてきた」と評されることもありますが、今後、経営者が選ぶ街はどのように変化するのでしょうか。次回(2025年)、次々回(2030年)の国勢調査の結果に注目したいところです。
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